2010年4月30日金曜日

秋田犬の憂い

相方の実家のとなりに、秋田犬がいることが分かり
ウキウキと会いに行く。

でも、玄関から出てきた秋田犬は
皮膚病で毛が抜けおち
ビクビクして、不機嫌で
とても辛そうだった。

うちの秋田犬を思い出す。
両親の執念であれこれ試し、快復したものの
以前はかゆがり、毛も抜けて大変だった。

本人(本犬?)も
イラついて、落ち込んで、辛そうだったのが
かわいそうで仕方なかった。

自分自身も、アトピーがひどくなり
かゆみで夜も眠れず、人に会いたくなくなった時期があるので
少しは気持ちが分かる気がする。

今回会った子も、すっかり沈んで
顔も険しくなっている。
人には吠えて、噛んだりもしてしまうそうだ。

でも、私がずっと座って待っていたら
近くに来て、クンクンにおいをかいで
首をさわらせてくれた。
うれしかった。

でもまだ怖がって、ウゥゥゥゥって唸って警戒。
だから頭までさわれなかったけど

ギューっと抱きしめてあげたい。
治るよー。きっとフサフサの毛で
堂々と街を歩けるときが来るよって。

その後も、その子のことばかりが頭に浮かんで
ずっと忘れられない。

実家に帰ったら、試した方法を改めて聞き出して
おせっかいながら、お知らせだけしてみようかな。。

2010年4月26日月曜日

ライプツィヒ

ドイツで行きたかった街のひとつ、ライプツィヒ。
バッハ、メンデスルゾーン、ワーグナーなど
名立たる音楽家のゆかりの地。

TVでやっていた、ゲヴァントハウスオーケストラのコンサートの番組で
ここで起きた平和的革命が
ベルリンの壁崩壊の引き金となったのだと知った。

ゲヴァントハウスの指揮者、クルト・マズアは
民衆と当局に 『非暴力で、話し合いを』と呼びかけた。

民衆は、武器ではなく、ろうそくを手にデモを行い
シュタージの本部を占拠したそうだ。

教会でひらかれたコンサートでは
団員が立ち上がると、民衆もみな立ち上がり
無言での大きな拍手が、祈りのように続いたんだそうだ。

この街だったからこそ、音楽が人々の心にあったからこそ
平和的革命はあったのではないかな。
そんな気がして、胸が熱くなった。

ひいきのヴァイオリニスト、Thomas Timmの父は
ゲヴァントハウスの首席チェリストだ。
本拠地であるトーマス教会の名を
息子に付けたに違いない!と勝手に思い込んでいるのだが
激動の時代を、どう感じて生きてきたんだろう。。

ちょうど訪れるころは
バッハ音楽祭の真っ最中。

教会など、あちこちで開かれるコンサートで
街は音楽だらけなんだろう。
楽しみだ!

2010年4月18日日曜日

三遊亭歌之介

落語の独演会へ。

初めて行った寄席で聞いたのが
彼の落語だった。

その話術と熱気に圧倒されて
落語ってすげ~!と思い
しばらく寄席に通うことに。

久々に聞いたけど、
あいかわらず勢いは健在!

新作落語でぐいぐい引き寄せ、爆笑の渦。
落語というより
自分の思いやうんちくを、おもしろおかしく伝えるおっさん!という感じだ。

政治家から天皇まで、笑いのネタにしちゃう。
飛行機で流すラジオで、放送禁止になったこともあるとか。笑

そんな中、母との思い出を交えた
ジンワリする話。

その話は前にも聞いたことがあって
『あ、あの話だ』と思うんだけど
やっぱりまたホロホロ泣いてしまう。

つい1分前まで、ドカドカ笑っていた会場も
みんな泣いちゃってるんだから。

ホント不思議!

すごいなぁ~
その話術、ちょっと分けてくれないか?

2010年4月16日金曜日

もじゃもじゃ

指揮者、サイモン・ラトル

ドキュメンタリーを見ると
彼の音楽に対する愛情や誠実さが伝わってくる。

オケには、呼吸や音が合わさって
絶妙に響く瞬間がある。

彼によると、
『それは、一種のドラッグ』

そして、『私は一生、中毒患者でいたい』
だってさ!

なんとシビれることを言うのだろうなぁ。

そんな彼の頭は・・・もじゃもじゃ。
天パなのかな~と気になっていたのだけど

サントリーホールで見つけたサインを見て・・・
思わず大爆笑!!

もじゃもじゃが付いてる~!!
なんとオチャメな。

いいなぁ。この感覚。

私は一生、あなた方が奏でる音楽の
中毒患者でいたいよ!









バックステージツアー

サントリーホールのバックステージツアーへ。

ネットで申し込み、当選したので
父と参加。

まず、ホールができるまでのビデオを鑑賞。
各国のマエストロたちの意見をとり入れながら
科学技術を駆使して作られたのだなぁ。

でも、パイプオルガンは
オーストリアで、すべて手作りなんだと!
みんなでえっちらおっちら
巨大なパイプを巻いて作っている姿には
思わず『え~っ!?』と父と笑っちゃった。

サントリーという、本業は別の会社が
世界に通用する、こんな素敵なホールを作ってくれた。
すごいことだ。
佐治敬三さんの心意気に感動、感謝・・・

これは泣くビデオじゃないよな~と思って
必死に涙をこらえたが(^^;
(サントリーの思うつぼか!?笑)

その後、ふだん立ち入ることのできない
楽屋や舞台裏も案内してもらえる。

音楽家たちのサインが並んでいたり
各国のオケのステッカーがベタベタ貼ってあったり・・
この控え室で、集中したりしてるんだな~と
同じ場所にいられることが嬉しい。

ホールは、裏も表も
素晴らしい音楽を生み出し、味わうことに
全力でこだわってつくられていることを実感。

細かいところにも
いろいろな想いが込められている。

これからは、もっと幸せな気分で
音楽を味わえる気がするぞ。

2010年4月13日火曜日

独歩の湯

相方が、鍼灸院で
『おまえはもう死んでいる!』と言われたらしいので
休養を・・と湯河原温泉へ。

栄えすぎず
廃れすぎず
近いし、意外と気に入ったぞ。

”独歩の湯”という、足湯ランドのような所が良かった。
いくつもの足湯があり
それぞれ、いろんな足ツボを刺激するような底になっている。

ふみふみしたり
座ってボーっとしたり。
アイタタ・・・となったり。

この足湯で足ツボを毎日刺激したら
都会のひとたちは、もっと健康になるのでは。。

プールの”腰洗い槽”みたく
会社やマンションの入口に
足ツボ足湯を設置したらどうかね?笑

通らないと帰れない!
強制的に足ツボ刺激!


足湯のあとの、足マッサージがまた極楽だった!
マッサージ師協会のオバチャン達がワイワイやってくれる。
年の功?で上手!

『疲れてるのとはまた違う硬さだな・・・よく歩くでしょ?』
だって。
筋肉で分かっちゃうんだなぁ。

今回も、宿の人に引かれるくらい
かなりの距離を歩いたのでありました。。

休養になってないってか?

2010年4月5日月曜日

戦場のピアニスト

ドイツ祭りにつき、負の遺産もDVDで鑑賞。

重く辛かったが、2回も観てしまった。
人間として観ておくべき映画だと思った。
実話と知り、さらにずっしり。

絶望的な、灰色の世界でも
そこに音楽が流れると、一筋の光が射す。
音楽の力を感じた。

廃墟での演奏シーン。
きっと、映画みたいにきちんとした演奏ではなかったろう。
ピアノに触れることのできない日々、飢え、寒さ、恐怖。
指が普通に動くわけない。

でもきっと、あの演奏は
あの時にしかできない、名演奏だったんじゃないかと
勝手ながら私は思う。

絶望
悲しみ
怒り
執念
ものすごい感情が一気にあふれ出て
それがきっと、ドイツ将校の心に響いたんじゃないかな。


数々の大作曲家を生んだドイツ。
そんな環境で育った人々でも、狂気に陥ってしまうんだ。
あんな素敵な音楽があるのにどうして・・!
と思うと涙が止まらず。

人は誰しも、簡単に凶暴な生き物になり得る。
でも、芸術・音楽・美しい景色・・・
そういうものを愛でる心を失わず、相手と共有できたら
きっと正気に戻れる。

こんな映画が二度とできないようにしないといけない。

2010年4月1日木曜日

アイガー北壁

山岳映画&ドイツ関連ということで
文句なしに映画館へ。

がしかし・・こんなに辛い映画は久々であった。
もう頼むよ、勘弁してやってよ!と叫びたくなり
映画後も、しばらくどんより。

猛吹雪のシーンが続き、自分まで寒さと震えが。
嵐が止んだシーンでは、周りの観客も皆、ふーっと力を抜くのが分かった。

荘厳な山々にトンネルを掘って
登山鉄道を通してしまった人間に
山の女神が怒っていたのかもしれない。

でもその鉄道に乗ってみたい、そこから山を見てみたい、と思う自分がいるから
複雑な気持ちになる。

ヨーロッパアルプスには、ヒマラヤとはまた違った
明るい雰囲気のイメージを持っていたのだが
この映画を観たことで、やはり畏怖の念を持って見上げることになる。

それにしても、昔の登山スタイルと装備にはびっくり。

重そうで暖かくなさそうな、ジャンパーやテント。
手袋は、我々が街でしているような、毛糸のミトン。
ハーケンに至っては、カンカン自分達で鉄打って作ってるし!!
700km離れた麓までチャリで向かって、そこから登山って・・どういうことだ。

うーん。
今の高性能な装備での登山を思うと
当時の登山家は、まさに生身の底力で挑んでいたのだな、と感動する。

私が山の女神だったら
『自力でよう来た。頂上からの景色、ちょっと見せてやってもいいよ』
って言ってしまうかも。