2011年4月18日月曜日

親友も桜とともに・・・

祖父の死の3日後
実家の犬までもが、旅立ってしまった。

おじいちゃんが、お供に連れて行った?
2人一緒に逝ってしまうなんて、なんて酷な。
その意味を考えるけど
分からない・・・

これまた不思議なことに
旅立つ前日、私は彼女に会いに行っている。

一瞬立ち上がれなくなったが
その後は普通に過ごしてる、と聞き、
『ぎっくり腰~?』とお見舞いに行ったのだ。

12歳のばあちゃんで、足も弱っているが
ケロっとモリモリ食べていたし
大丈夫そうだな、と思ったのに。

後から思えば、帰るときはいつもわざと知らんぷりなのに
あの日は、しっぽをふって挨拶に来たんだ。
おすわりして、車を見送ってくれた姿が忘れられない。

子犬で我が家に来たとき
家族で一番下は、バカにされるのが分かっていたから
だったら、『あなどれない遊び相手』になろうと決めた。

じゃれて遊ぶ時も、負けないように本気で勝負。
秋田犬は大きいし力が強いから
傷も絶えなかった。
たぶん庭で遊んでる姿は、犬同士だったんじゃないかな。

私が帰ると、とびきりの笑顔と大興奮で歓迎。
ボールや縄を持ってきて、『遊ぼう!!』と言ってくれるのが
本当に嬉しかった。

犬なのに、近所の方々が大勢弔問に来てくれ
花束の山。
幸せだね。ありがたいね。

桜の木に囲まれた、火葬場の煙突から煙がのぼり
あ~昇って行ったなぁ~とみんなで眺める。

一週間に2回もお骨を拾うことになるなんて。
今年は悲しい桜になってしまった。

しかも2人とも、私が訪ねた翌日に旅立つなんて。
私は死神か!?

行かなかったらもっと頑張ってくれたのかな?と
辛くもなったけど
今は、2人とも呼んでくれたんだな・・と思い
とても嬉しく思う。

こんなに涙が出て、悲しくても
世の中は普通に流れていく。

震災で亡くなった人は
葬儀さえままならないわけだし
ありがたいと思って、頑張らねばね!

あっぱれ、おじいちゃん

桜満開のなか、、祖父が旅立った。

倒れる2日前まで、しゃきしゃきで囲碁を楽しみ
旅立つ2日前まで、日記をつけ、退院に向けて歩く練習もしていた。

葬儀の日は、桜吹雪。
おじが『桜とともに、実に見事な散りざまだった』と挨拶していたが
まさに。

かっこよかった。

旅立つ前日、ふとお見舞いに。
翌日に行こうかと思っていたのだけど
きっと呼んでくれたんだろうな。

激動の時代を、ダイナミックに生きてきた祖父。
軍人だったころの写真を見せてもらったり
(これがイケメン!)
仕事や呑みの”武勇伝”を聞くことができたのも
貴重な時間だった。

93歳で、苦しまず、何よりだよね、と言いつつも
やはり寂しいものは寂しい。

母が、
『できる限りのことはしてきたし、大往生だから
そんなに悲しくないと思っていたけど
こんなに親の死が辛いこととは思わなかった』と言っていた。

どんなに長生きして、親孝行しても
悔いが残らないなんてことは、きっとないんだろう。

自分にとって、”人間の身内の死”に直面するのは初めて。
昨日温かかったのに、今日は冷たい・・・
さっきまで寝てたのに、もう骨だけになってしまった・・・
命の不思議を感じた日々だった。

93年、本当におつかれさまでした。
ありがとう。

『いってらっしゃい、また会おうの』

2011年4月2日土曜日

『soul kitchen』と『歌之介』

娯楽DAY。

世の中、自粛ムードだけど
お金使える人は使っていかないと。。

映画は、私が行かなくたって上映してる。
だったら、家で電気使ってるよりいいかもしれん。

◆気になっていたドイツ映画
『ソウル・キッチン』

登場人物がみんな、ゆるくて割とダメで
でも憎めなくてかわいらしい。

起こることが、いちいちププっと笑ってしまうくだらなさ?で
一人客がほとんどだったものの、みんなクスクス。

人生、なんとかなっちゃうんじゃないの?
って感じになれる、ほのぼの映画だった。

ハンブルクの街並みや尖塔が
懐かしくて嬉しかった。

◆やっぱり泣いちゃう歌之介

久々の末廣亭へ。
というのも、昼の部の主任が三遊亭歌之介だったので。

寄席に行くようになってからというもの
どこで何があろうとも、あの場所では
必ず毎日、人が笑ってるんだ、ということを知った。
それだけで、なんだか幸せになれた。

特にこんなときは、そのありがたみを感じる。

歌之介の噺は、今までもう5回くらい聞いちゃった噺だった。
またかー!ちょっと残念に思ったけど。
でも!分かってるのに!
どうしたってホロホロ泣いちゃうんだ。

オジサン達も、メガネ外して
涙ふきふき。鼻ずるずる。

あったかいね。歌之介。